(136) 冠詞(a と the)についての質疑応答 2017/09/14 07:16

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OED Loves Me Not OED Loves Me Not の投稿
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日記に書いたこの記事を、ここでも発表します。

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今朝も、冠詞についての質疑応答が別のサイトで提起されたので、僕も回答した。いつもならこういう話題については、僕の
http://alcom.alc.co.jp/communities/1975
このクラブにて長々と議論している。さらには、YouTube 上での「罪と罰」の英語版の英文解釈ビデオにおいても何度も出てきたので、そのたびにしつこく長々と説明を続けてきた。

今日はこれについて、日記にて触れたい。この種の話題を日記で触れるのは半年ぶりくらいだ。なぜ日記を避けてきたかというと、日記に書かれる大多数の話題は日常のことであり、英語とはほとんど関係のない話題でもちきりなので、場違いになるのが嫌だったからだ。

しかしそれにしても、僕はこんなふうにあちこちの英語に関する質問に答えたり、YouTube やクラブにて英語の本質や英語の発展してきた歴史などについて書きまくったりしゃべりまくり、ついつい本業を放ったらかしにしてしまう。こんなことをしてきたから、僕は貧乏なのだ。でも僕は、お金のための仕事なんて興味がないので、これで精神的には満足している。

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質問の内容
美女と野獣の Tront Star の映画評です。
ダン・スティーヴンスについて
Three new songs are added, including the Menken/Tim Rice collaboration “Evermore.”
Dan Stevens proves to be one of the best singers in ★a cast that hits nary a bum note★.

in a cast that hits nary a bum note の a cast ですが、この a がついているのがわかりません。

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僕からの回答

>>Dan Stevens proves to be one of the best singers in ★a cast★ that hits nary a bum note.

"in the casts" なんていうふうに、cast に -s なんてこの文脈ではつくはずがないと思う。"in the cast" ならばわからなくもない。He is in the cast (of the musical). とは、よく使われる台詞だろう。

ところがここでは "in a cast that SV" になっている。なぜ the じゃなくて a なのか?"in the cast that hits nary a bum note" ならば、「bum note をまったく出さないキャスト」という意味の言葉をすでにその前に言っていたことになる。しかしここでは、この文章ではその言葉を言うのは初めてだ。だから a になっている。

これは、Tom Cruise is an actor. というとき、あるいは Tom Cruise is an actor that never forgets his lines. というときに a になるのと同じようなものだ。「これこれこういうような actor」と言いたいときには、その actor には a がつく。the はつかない。しかし、それと似た言葉を二回目に言うときには、その actor には the がつくだろう。

上で述べたことは、たとえば「これこれこういうような Japan」と言いたいときに、"a Japan that SV" というふうに Japan に不定冠詞の a がつくのと似ている。

The onus should be on Abe's and Japan's critics to say precisely what is unreasonable about ★a Japan that★ can protect its interests and help its partners.
(Australia, 2014, ニュースサイト)
http://www.lowyinterpreter.org/post/2014/06/04/What-Shinzo-Abe-really-said-in-Singapore.aspx

同じように、Tom という固有名詞に a がついて、"a Tom who SV" とも言える。下に挙げた記事では、まずは "the Tom we're all familiar with" というふうに the をつけた Tom を使っている。ここでは a にはならないで the になっている。それは、みんながすでに良く知っている「あの、例の、いつもの」Tom という意味だから the になっている。

そのあとの2つの "a Tom that (OR who) SV" は、「これこれこういうような Tom」という普通の言い方だから、a がついている。the にはなっていない。このような例は、いくらでも見つかる。こういうことは、ふだんからたくさんの英文を読み、愚直にそれぞれの a とか the がなぜそのような風に使われているのかを自分なりに考えながら何年も何十年も修行しているうちにだんだんわかってくる。
もちろん、質問者さんはすでにそれをやり続けているからこそ、今回も質問しようという気になったわけだけどね。大多数の人は、何も考えないで流してしまう。

This isn't ★the Tom★ we're all familiar with, this is a guy who shoots Overlords in the middle of their soliloquies, even though it's going to give his spike-possessed son Ben a monster headache. This is ★a Tom who★ wants to take the fight to the aliens, not ★a Tom that★ wants to rebuild the walls and make sure people are safe.
(2015, Great Britain, ニュースサイト)
http://www.denofgeek.com/tv/falling-skies/35971/falling-skies-season-5-episode-1-review-find-your-warrior

   ****** 質疑応答のあとの感想 ******

ところで、こういう種類のことを手軽に文法書や冠詞専門書を読んで理解しようとしている人がいるけど、そんなものを読んだところで冠詞なんてそう簡単に身につくはずがない。冠詞については、何十年もの愚直な綿密な英文読書を経たあとに、自分なりに推測した冠詞の法則が当たっているかどうかを冠詞専門書とか文法書で確かめてみて、少しずつ肉付けし、理論化していくことによって身に付けるものだ。

冠詞だけではない。そもそも文法書なんてものを読んで文法が身につくはずがない。学校の授業ごときで文法がマスターできるはずもない。あれは、付け焼刃的な最小限度の学習でしかない。

本当に必要なのは、何十年もの馬鹿正直な英文との格闘なのだ。疾風怒濤のごとく押し寄せる膨大な英文を読んだり聞いたりして、その冠詞や単数複数や、コンマやピリオドや、ダッシュやコロンやセミコロンや、それぞれの単語の綴りや使い方や微妙な意味あいに至るまで、きわめて執拗に追っかけていく中でしか、文法も英語もライティング力も何も身につくはずがない。

さらには、ただの問題集とか参考書で簡便にそれを身に付けようとしたって、できるはずもない。テストでよい点を取ったからって、そういう本質的な部分が身についたことにはならない。

そういう気も遠くなるような息も絶え絶えの努力なんてする時間はないというのなら、辞めればいい。その代り、映画を字幕なしで聴けたり、洋書を辞書なしでどんどん楽しんで読めるようになりたい、ついでに古典も読みたいなどということは考えないようにしたらいい。実務英語だけで満足していればいいのだ。

ブラボー(4

コメント (8)

上海bang
上海bang
2017/09/14 08:10
僕のエピソードえですみません。
僕は囲碁が好きで50歳の時にアマ6段くらいに達しました。TOEICでいうと900点くらいに相当します。そして考えました。あと、10000時間くらいかければ7段になるだろう。でも、その貴重な時間を囲碁に費やす価値はあるのか?
そこで、英語と中国語の出直し学習をすることに決めました。囲碁はそれ以降打っていません。その選択は自分の人生をより豊かなものにしてくれたと思っています。

OEDさんがおっしゃるように、人生の中で何にどれくらい時間をかけるかは、自由であり、世の中でこれほどフェアなものはないでしょう。

そういう自覚を持てずに、ズルズルと時間を過ごすのはもったいないですね。仕事は生活の糧を得るためなので仕方ありませんが。

OEDさんの自由人としての人生の選択は羨ましいと思いますが、僕には貧乏は耐えられませんでした(笑)主題と関係のない、とりとめのないコメントで申し訳ありません。
OED Loves Me Not
OED Loves Me Not
2017/09/14 09:23
上海さんは、囲碁にもそこまで打ち込んだのですね。そういえば、以前の日記に書いてらっしゃいましたね。中国人の囲碁の名人から直接に囲碁を習って、そのときに「人間には、愛に生きる人と恨みを晴らすために生きる人がいる」という話をその名人から聞いたという話をしてらっしゃいましたね。

僕は自由人なんていういいものではありませんが、確かに30歳の時からこの30年間ずっと、自分がそのときにやるべきだと思った仕事だけをやってきました。かなりの妥協もして、お金を稼ぐために下らない仕事もたくさんしましたが、それでも、途中から「こんな下らない仕事は減らそう」と思ったら、自分の意志で減らすことはできました。家族のために犠牲にもなりましたが、離婚したあとは自分だけを食べさせればいいので、その分だけ楽になりました。

65歳になってもろくに年金がもらえないような身分なので、死ぬ間際までかなり本気で仕事を続けないといけませんが、それでも若い時に比べたら半分くらいの収入でもやっていけるので、楽になりました。(とはいえ、気力や体力ががた落ちしているので、若い時にはすいすいとこなせたわずかな量の仕事でも、今は苦しくてたまりません。)
OED Loves Me Not
OED Loves Me Not
2017/09/14 09:40
囲碁で思い出しましたが、僕も囲碁やマージャンやゴルフなどを覚えたらどれほど人間関係が円滑になるだろうかと真剣に考えました。あちこちの人から奨められもしました。そして、ギリギリのところで僕はやはりそれらを覚えることさえ諦めました。ほとんど一度も手を付けなかったのです。そのせいで、ますます僕は人から隔離されることになりました。

しかしその代わり、僕は自分が17歳のときから自分の使命だと信じて頑張ってきたことを貫くことができました。17歳のときには、日本語による娯楽のテレビ番組を見ることさえ断念しました。それ以降ずっと、この44年間、ほとんど日本語によるそういう番組は見ていません。日本語で僕がテレビ番組らしきものを見るときは、放送大学の講義、語学番組、外国語によるもの、報道番組、教養番組に限られます。

どうしても娯楽がほしいがあります。そのときは、必死で外国語で娯楽番組を見ました。外国語で娯楽番組を何とか楽しめるようになるには、かなりの努力が必要でした。

もちろん僕だって人間なので、母国語で娯楽が楽しみたいです。しかしその誘惑には、なるべく負けないようにして頑張ってきました。ときどきそれに負けたことは確かです。でもなるべく負けた時間が増えないようにしてきました。さらに英語もかなり上達してくると、今度は英語でさえ娯楽番組や娯楽小説めいたものに時間を使わないようにしてきました。今では、さらに背伸びをして、よせばいいのに英語で Shakespeare や英詩や、それ以外の古典文学に挑戦し続けています。

僕は別に古典が好きなわけではないのです。Shakespeare が好きなわけでもないし、英詩が好きなわけでもないのです。それなのになぜこんなことをやるのか?それは、自分の力の限界に挑戦するためかもしれません。さらに、人間の真相を突き止めるには、楽しいものだけを追求していくだけでは足りない。自分が最も苦手とする、難しくて奥行きの深そうなものをどんどん追及しないとできない。そう思っているから、無理に古典などを英語で読もうとしているのです。
上海bang
上海bang
2017/09/14 11:02
なるほど、こうしてOEDさんと人生を語るのはおもしろいですね。

・・・1つのことをそこまで突き詰めている、進化させているのには信念と人生賭す覚悟が必要だったことでしょうね。OEDさんが古典に惹かれていく、より純粋な原点探求し始めているのは必然のような気もします。僕にはそこまで賭けたものはありません。プロとアマチュアの違いだと解釈しています。

僕はまだ文学にはこだわっていますが、かと言って、何か作品を書いて投稿するほどのこだわりは持っていません。ここで日記を書いて、友人たちに読んでもらうのが、とてもよい勉強の合間の気分転換になっています。

最近就活がとことん嫌になってきました。もう働くのはやめてずっと勉強したいと考え出しています。とりあえず、今の英語力をあげて、原書でちゃんとしたものを読めるようになりたいと思い始めました。

この歳でTOEICを目指すのは、OEDさんからみると少し違和感を感じるかもしれませんが、僕はアルコム英語部の人たちの人間性に惹かれています。こんなに英語が大好きで理屈をまったくこねない、自慢したりしない人たちに初めて出会いました。

OED Loves Me Not
OED Loves Me Not
2017/09/14 11:19
アルコム英語部の人たちすべてを知っているわけではありませんが、少なくともマネージャーであるカリーナさんと部長の「...caprio さん」(名前を度忘れしました)は、すごいと思います。謙虚に努力を続けておられます。僕も TOEIC を受けないといけないのですが、いまだに試験会場に向かう気にさえなれません。そもそも試験嫌いというか、試験に興味がないのです。若い時からそうでした。

大学受験勉強も数か月しかやらなかったし、高校受験の勉強も6か月、就職試験の勉強は2か月だけでした。あとは、英検についてはその当時は準1級がなくて2級と1級しかなかったので、22歳にして初めて英検を受けたときに、2級と1級とを同時に同じ日に受けましたら、両方とも受かりました。英検は、その時一回しか受けませんでした。さらには、英検の受験勉強なんて、1秒たりともやりませんでした。受験勉強が大嫌いなのです。

そもそも、お金を稼いだり実用的な分野で認められたいという欲求があまりにも薄いようです。もちろん、僕だってお金を稼がないといけないし、できれば実用的な分野で認められていいかっこがしたいです。でも、その分野で認められるには大変な努力が必要で須賀、その分野での努力をする時間と気力があれば、僕はまるで違った方に向かいたいのです。

早い話が、英語で哲学書や思想書や古典文学や英詩を読む力なんて、TOEIC や英検ではまったく必要ありません。それどころか、英語ができるようになりたければ、英詩や哲学書や古典文学は避けろとよく言われます。

とはいえ、僕が仕事にあぶれたときにまた別の顧客を見つけるときには TOEIC が物を言うはずなので受験しておく必要があると思うのですが、TOEIC の問題をあちこちの人が見せてくれますが、すべて企業向けという感じで、本気でやる気にはなれないのです。もちろん、文学などを読むときには TOEIC くらいは満点をゆうゆうと取れるだけの実力が基礎となります。だから TOEIC も攻略しないといけないのですが、僕が22歳のときに修飾間際のときに英検を受けないといけないと他人から脅されたときのようには、今では焦っていないので、ついつい TOEIC からは離れてしまっています。
OED Loves Me Not
OED Loves Me Not
2017/09/14 11:23
上海さんは、僕らとは違って年金がかなり入ってくるでしょうから、再就職なんてしなくていいではないかと僕はずっと思っていました。勉強する方が、はるかに自分のためにもなるし、社会のためにもなると思っています。

僕自身は、生活にさえ困らないのであれば、すぐにでもお金を稼ぐための仕事はやめるでしょう。山ほどやるべきことはあるのです。仕事さえなければ文字通り毎日、YouTube で古典文学を英語で読むための英文解釈の話をしていきたいと思っています。どうしてもお金を稼がないといけないので、いくらかペースは遅くなっていますが、本当はこの10倍くらいやりたいのです。
上海bang
上海bang
2017/09/14 14:42
サラリーマンには会社勤めという生活習慣病(?)みたいなものに取り憑かれているようです。仕事をなくすと90%くらいの方が鬱になるそうです。
なぜそうなるか突き詰めて考えてみると、「自分のやりたいことが見つけられない」ことにあるようです。ですから、多くの方が再雇用を希望し65歳までは、習慣的に働くのです。

僕はアルコムに来て幸いだったのは、自分でやりたいことを見つけられたことでした。ここらあたりで就活をやめようと思っているのも、仕事をしなくても勉強することで、自分を見失わない目標を見つけられたからです。

OEDさんには不思議な病気(?)に映るかもしれませんね(笑)
OED Loves Me Not
OED Loves Me Not
2017/09/14 14:57
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僕の友人も、そのような、会社勤めを続けていないと落ち着かないと言っています。年齢制限ぎりぎりまで、これ以上には雇ってもらえない年齢になるまでは働き続けないと気が済まないようです。75歳くらいまで雇ってもらえる人は、喜んで働いていますね。

僕などは、貴族として生まれてきたとしたら、いっさいお金のためには働かないで思いっきり研究をして、たくさん本を書いたり講演をして歩いたりしたいです。世界中の言語を研究したいです。アフリカとか南米の奥地に入り込んで、未知の言語を発見していきたいです。こんな英語みたいな下らない言語なんて、僕にとってはどうでもいいのです。ただの飯の種でしかありません。

僕には、常にやるべきこと(それでいてまったくお金にならないこと)が山積みされ、それをすべてやり遂げようとしたら1万年くらいかかりそうなものが目の前に末広がりのように広がっていました。

それなのに18歳のときからずっと働き続けるのは、実につらかったです。18歳のときから22歳のときまでは、ただの家庭教師だったとはいえ、貴重な時間を下らないことを教えるために費やすのは、僕にとっては苦行だったのです。もしも相手の生徒のためになっていればまだましですが、家庭教師なんてものをつけてやらないといけない生徒は、どうせろくな人間にはなれないのです。

しかしそれは嘘で、実は僕自身がもしもきわめて優秀な家庭教師や大学教授に出会っていたら、ものすごく立派な人間になれたろうなとも思います。僕が得られなかった教育をたやすく他の人が得ていて、そういう連中に教えないと食べていけない僕自身にいらいらしていたのです。
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