明治のお雇い外国人(①) 2018/02/04 17:15

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YOSHI-san YOSHI-san の投稿
黒船がきてから明治維新まではたったの15年ほどということに驚きます(1853~1868)。
自分の15年を振り返ってみると平穏無事ですが、明治時代は市井の人々にとっても激動ですよね。

さて、読んだ本「お雇い外国人とその弟子たち」副題「日本の近代化を支えた25人のプロフェッショナル」からのメモです。(サークルで使うこともあるかも^^)
※数値はこの本をベースにしています。

25人(含むラフカディオハーン)が取り上げられていますが、自分の興味の範囲の人について簡単にメモっておこうと思っています。
ヘボン(米、宣教師):ローマ字、初の和英辞典を編集
ベルツ(ドイツ、医師):近代医学
クラーク(米、植物学):北海道開拓を指導
モース(米、生物学):大森貝塚発見、進化論を日本に紹介

1.概要
(1) お雇い外国人とは
明治時代(1868~)に日本政府として招へいした人々。(ヘボンらのように江戸時代に布教のために来て、後活躍した人もいます)
列強が東南アジアから東アジアに進出してきたなかで開国し、植民地化されないように近代化を進めるため、人によっては大臣並みの給与を払い、各国から専門家を呼んだ。

近代化を進めるために、多くは明治初期に集中していますが、遅れて来た人達もいます。
これはその都度発生した問題を解決するために、日本政府が呼んだということになります。
・条約改正交渉を進めるための人材(不平等条約の撤廃や日清、日露がらみの戦争交渉)
・日本にコレラ発生 → 多数が亡くなる → 上下水道工事の専門家
・その分野の人材がいない(法学者、哲学者を招へい)

(2) どこの国から
1) 明治5年(1972年)のデータ:計213人
イギリス(56%)、フランス(23%)、アメリカ(8%)、ドイツ(4%)、他
この時点では、近代化(=工業化)の観点からイギリス人(鉄道、通信)、フランス人(造船、製鉄)に集中しています。勿論外国人教師も呼んでいますが。

2) 1890年までの総数(明治23年まで):2,517
お雇い外国人は全体で3,000人以上といわれているので、この時点で累計はピーク近づいているようです。
ダントツはイギリス(1127)、以下アメリカ(414)、フランス(333)、ドイツ(215)、オランダ(99)
中国(250)、フィリピン(79)もありますが、給与の点では1/5~6程度なので短期だったり仕事に差があったのかもしれません。
またこの数には、技能工や水夫なども含まれています。
イタリアの人数がありませんが、この本で取り上げている芸術関係には複数のイタリア人もいます。
例えば、紙幣・切手デザインで印刷文化に貢献、近代日本洋画の基礎を築く、西洋彫刻を日本に紹介

国がばらけているということにすぐに気が付きます。これは多分、その国の得意な物を効率よく吸収すると同時に、特定の国に偏らないようにして植民地化される危険性を回避するという観点もあったのでしょうか。

(3) 来日当時の年齢
ヘボン44歳~77歳、後帰国 (米、宣教師、ローマ字、初の和英辞典を編集)
ベルツ27歳~56歳、後帰国 (ドイツ、医師、近代医学)
クラーク50歳、7.5ヶ月後帰国(米、植物学):北海道開拓を指導
モース39歳、2年後帰国(米、生物学):大森貝塚発見、進化論を日本に紹介
その他、ちょっとみてみると25, 29, 35, 43歳など。

(4) 給料の話
契約の平均は約3年。クラークのように7.5ヶ月の人もいます。
高給取りの例:月給600円(伊藤博文:500円、総理になって800円。庶民は10円)
ある軍医教師の場合は、3年間で自国の軍隊の30年分を手にできたとか。

高い給料を払い、先進国が長い時間をかけて得てきた技術、学問を短期間で取り入れたわけです。
彼らの立場は基本的には助言役でしたが、教える日本人たちの吸収は早く、やりがいがあったでしょか。

高給ですが、では動機は
一覧にしてみましょう。
・布教目的(江戸時代)
・本国で孤立(挫折組)
・新天地を求めて(事業に失敗、上記孤立組、精神的に落ち込み)
・日本に関心あり(本国の地位を捨ててまで、極東の地にフランス文化をと思想を教えたい。自分の研究テーマが日本にある(モース))
・日本人留学生などの友好から(留学生を治療した医師ベルツ。英ヘンリー(江戸時代の長州藩5人の英国密航組との縁)
・経済的理由(イタリア画家など)
・肩書きもなく(ラフカディオハーン:特派員で来たが解約→英語教師)

====雑感====
米国に頭脳流出だ、他国に工場が移ってやれ大変だ。
辞めさせた人、退職後の人がアジアに技術を流出させている。現在はグローバルの時代だ。
なんて思っていましたが、明治時代初期はこれらを全部含んでいたでしょうか。

来日した先生は日本語を話しません。授業は英語、ドイツ語でやるわけですが、なんかすごいなあ。
ところで最近みたTED(2016版)で、話者が「中国では2 dozensの大学で全て英語で教えている、と聞いている」とありました。これもすごいなあ。
現在の日本は少々動きの鈍い恐竜になっているのでせうか、少なくともこの点を含めて明治に学ぶところがありさうに思ひます。(なんちゃって)

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コメント (13)

arakaneigodaisuki
arakaneigodaisuki
2018/02/05 09:42
YOSHI-sanのトピを読んで思い出したことがあります。
実は明治時代に福島県で最初の旧制中学校安積(あさか)中学校が開校し、ここにイギリスのロンドン出身の英語教師がおりました。
こんな田舎にも お雇い外国人がいて、英語を教えていたのですから、明治政府はやっぱり近代化に対しては並々ならぬ決意があったように思われます。
このイギリス人の英語の教師の給料が高いとのことで、福島県議会でイギリス人教師を止めさせて、日本人の教師を採用する案が出されました。
それに対して朝河貫一博士(当時19歳)議会に対してこのイギリス人教師を継続して採用するよう嘆願書を提出しています。
19歳の朝河寛一の嘆願書の内容も素晴らしく、さすが後の国際政治学者になった方だけの人と思いました。
なお、朝河博士は、日本人最初のイエール大学の教授になった人です。
今度お会いするときに、この歎願書の内容と、イギリス人教師について書かれた本をおあげいたします。
YOSHI-san
YOSHI-san
2018/02/05 10:29
arakaneigodaisukiさん
さすが会津のある福島ですね。
ところで選んだ4人の中に会津に関係のある人が出てきたと思いますが、そこはハッキリ書いておきますね。^^

本は見せて頂くだけで、話しだけの方が楽かも。hehehe
arakaneigodaisuki
arakaneigodaisuki
2018/02/05 11:13
>本は見せて頂くだけで、話しだけの方が楽かも。hehehe

確かのその通りですが、あまりプレッシャーと思わないでください。

YOSHI-san
YOSHI-san
2018/02/05 12:47
arakaneigodaisukiさん
はい、了解。
SPVMSV
SPVMSV
2018/02/05 18:33
幕末から明治維新にかけ、欧米の科学技術の導入にかけた日本人の意欲は、ものすごいものがあったと思います。
欧米列強の技術を使い、欧米列強の支配を受けないようにしたいという、危機感が当時の日本人にはあったと思います。
当時の日本人は、英語から逃げているような状況ではなかったと思います。
anne-sun
anne-sun
2018/02/05 20:38
日本の近代化に尽力した人々の話は聞いたことがありますが、このようにまとめていただくとわかりやすくてうれしいです。
それにしても、来日した先生方は日本語を話せなくて、英語、ドイツ語で授業をされたとか、どのようにして日本人は理解したのでしょうね。英語、ドイツ語に堪能な方がいらっしゃったということですね。すごいと思いました!!
エレミヤ
エレミヤ
2018/02/05 21:36
本当、こうしてまとめていただくと、とても参考になります。
確かに私も疑問に思ってました。どうやってコミュニケーションを取っていたのだろう?って。
YOSHI-san
YOSHI-san
2018/02/05 21:53
SPVMSVさん、
> 欧米列強の技術を使い、欧米列強の支配を受けないように
確かにそうですね。侍のお城だと「お家の一大事」ですが、当時は「国家の一大事」だったかもしれませんね。
先生が英語圏なら英語で、ドイツ人ならドイツ語で学ぶなどスゴイですね。日本語の話せる先生は居るわけがありませんし。
YOSHI-san
YOSHI-san
2018/02/05 22:09
anne-sun、エレミヤさん

本の巻末に割とよくまとまっていたので、抜粋した程度です。

> 来日した先生方は日本語を話せなくて、英語、ドイツ語で授業をされた
> どうやってコミュニケーションを取っていたのだろう

謎ですね。^^;
それまではオランダ語ですからね。江戸時代に通詞がいましたし、語学に秀でていたでしょうね。
オランダ語もアルファベットでしょうし、なにか英語の取得に役だったでしょうか。
後にでてくるドイツ人医師ベルツですが、ドイツ語で講義し、どのくらい理解しているかレポートをださせ、赤入れをして返したと書いてあったとおもいました。
また当時は単なる勉強だけでなく実習的な時間も多かったようですが、(考えてみると)コミュニケーション不足をうまく埋める方法だったのかもしれませんね。もっとも知識のベースがないので実地の技は当然必要でしょうが。
SPVMSV
SPVMSV
2018/02/06 08:53
横からすいません。
確かでは、ありませんがオランダ語⇒英語、オランダ語⇒ドイツ語、オランダ語⇒フランス語の辞典が活用されたという話を聞いたことがあります。
不確かな情報ですいません。
YOSHI-san
YOSHI-san
2018/02/06 09:43
SPVMSVさん、
ありがとうございます。
江戸時代はオランダ語がベースでしょうから、そのやり方が一番効率よさそうな気がしますね。オランダ語はドイツ語と近いかも知れませんし(知りませんがなんとなく)。

エレミヤ
エレミヤ
2018/02/07 18:11
YOSHI-san
ドイツ語とオランダ語が似ているのは本当ですよ。
以前、空港の待合ロビーで隣に座っていた外国人がドイツ語かと思われる言葉を話していたので、”Are you from Germany?” と聞いたら、「いや、オランダだ。確かにドイツ語と似てるからね」と返答されました。
(当方、ドイツ語学習歴あり)
YOSHI-san
YOSHI-san
2018/02/07 22:07
エレミヤsan,
実体験ですね。やはり似ているのですね。それにベルギーの南はオランダ語系と少々のドイツ語系でしょうし、ヨーロッパは言語的に近いんでしょうか。
フランス人にとって一番楽な言語はスペイン語だと言われるようですし。でも調べたことがないので、言語関係に関する知識はありません。

ところでスウェーデン語とドイツ語も似ています。私は現地で無料のスウェーデン語クラスに数回でたことがあるのですが、鏡や鳥はたしかドイツ語と単語が同じでした。スウェーデン語の先生は、スウェーデン学習についてもっとも優秀な生徒はドイツ人だと言ってました。
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