(135) reclame (広告・宣伝) というフランス語が欧州全土に? 2017/09/10 04:40

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OED Loves Me Not OED Loves Me Not の投稿
がくこちゃんがトルコ語で「コマーシャル」のことを reklam というのだと日記で書いていたので、それに対してコメントしているうちに長くなった。覚書として、ここにも転記しておく。

   **********

なるほど、トルコ語で CM は reklam ですか。おそらくフランス語由来だろうと思っていたら、やはりそうでした。

>>reklam
~ Fr réclame
1. iddia, protesto, bağırarak ileri sürülen şey,
2. ilan < Fr réclamer yüksek sesle ileri sürmek, tellal ile ilan
http://www.nisanyansozluk.com/?k=reklam

ただし上記の語源情報のうち、トルコ語の部分は僕には読めません。(辞書を持ってますけど、文法がわからないので読み解くのも面倒です。w)

ただしフランス語の réclame は今では古風な言い方だそうで、今では publicité と言うのだということです。どうりで僕は réclame なんて見聞きしたことがなくて、publicité しか知りませんでした。

ところで、この réclame はドイツ語にも入ったということを、今さっき知りました。

Reklame [reklaːmə] (第2音節にアクセント) -- 広告、宣伝

ところで、これに似たフランス語の小さな辞書にも載っている単語も、次のようにドイツ語にもそのままあるんですねえ。

フランス語 réclamation -- 苦情、クレーム、抗議
ドイツ語 Reklamation [reklamatsioːn] -- 異議申し立て、クレーム、返還請求

フランス語 réclamer -- 強く求める、当然のこととして要求する、抗議する
ドイツ語 reklamieren -- 異議を申し立てる、クレームをつける

ただしこの二つの単語を、ドイツ語はフランス語から導入したのではなくて、ラテン語からだそうですけど。とはいえ、Reklame (広告、宣伝) だけはフランス語から導入したのだと辞書には書いてあります。いずれにせよ、ドイツ語はフランス語やラテン語から膨大な語彙を導入しましたね。トルコ語がフランス語やペルシャ語・アラビア語からたくさんの言葉を借り受けたのと同じですね。

ついでに、それ以外の言語の辞書も引いてみたら、フランス語の réclame に似た単語が「広告、宣伝」という意味で広く使われているようです。

イタリア語 réclame 広告・宣伝・コマーシャル(フランス語から入ったのだと書いてあります。)

スペイン語 reclamo (レクラモ) -- (商業など)広告・看板

なお、ルーマニア語でもやはりフランス語またはドイツ語からこの言葉が入ったようです。ルーマニアで最も権威がある辞書には、次のように書いてあります。(ただし、今の僕にはあまり読めませんが、が、テレビやラジオでの「広告・宣伝」という意味であり、フランス語やドイツ語から入ったのだというふうに書いてあることは確かです。)

RECLÁMĂ, reclame, s. f. 1. Activitate (comercială) prin care se urmărește, pe calea publicității (prin tipărituri, ★radio, televiziune, cinematograf★ etc.), suscitarea, câștigarea interesului public asupra anumitor mărfuri, a unor cărți, a unui spectacol, a folosirii unor servicii etc. ♦ Răspândire de informații elogioase (despre cineva sau ceva), cu scopul de a-i crea renume sau popularitate. 2. Articol (dintr-o publicație), afiș, placardă, panou, prospect etc. prin care se face reclamă (1). – ●Din fr. réclame, germ. Reklame.●

sursa: DEX '09
https://dexonline.ro/definitie/reclame

ポルトガル語でも同じだということがわかりました。

reclame --- (anuncio) advertisement

Source: Oxford Portuguese Dictionary (Oxford University Press)

ついでに、ロシア語でも同じです。

реклама (リクラーマ) -- 宣伝・広告・コマーシャル

たぶんこのフランス語は、ヨーロッパ全土にわたっているだろうと推測します。ヨーロッパ全土とトルコ(そしてもしかしたらそれ以外の広い地域)へのフランスの影響力にはすさまじいものがあると再認識させられます。

ブラボー(1

コメント (11)

OED Loves Me Not
OED Loves Me Not
2017/09/10 05:02

手元にオランダ語の辞書もあったのでこの単語を引いてみたら、やはりあった。ただしドイツ語のように Reklame という綴りではなくて reclame というフランス語の綴りをそのまま導入していた。
Jama & Felicia
Jama & Felicia
2017/09/10 20:04
一つの情報を、他の複数の情報と関連付けるということは、とても大切だと思います。頭の中の情報が互いに関連して初めて情報が有用なものとなるのかもしれません。人間は問題が起きるとすぐに、その問題を解決をしたいがために極端に走ります。それは、政治史などを見ると、良く解ります。でも、情報を互いに関連付けることによって、極端に走り、別の間違えをすることを抑えられるのだろうなと思います。これが意外と、難しいのです。
言語に関しては、一つの言葉を、他の言事と関連させることによって、さらにその言葉の意味が理解できるのだと思います。言葉の歴史をたどることで、一見類似した単語の意味の違いを把握することができるのかなあと思います。
ありがとうございます。
OED Loves Me Not
OED Loves Me Not
2017/09/10 21:10
%
Felicia さんの言う通りだと思います。情報を互いに関連付けることによって、極端に走ることを防ぐことができる(つまり客観的かつ冷静な見方を身に付けることができる)というのは、大事な視点ですね。こちらこそ、ありがとうございます。
OED Loves Me Not
OED Loves Me Not
2017/09/10 21:24
&
言語に関しても、その歴史や地域差について考えていると、政治や偏見や階級闘争にも関連することがありますね。

英語だけに限って見ても、イギリスでの階級ごとの英語の方言や発音の大きな違い、地域ごとの顕著な違い、アイルランドやスコットランドやウェールズでのケルト語や地域ごとの訛りのある英語、アメリカにおける南部と北部との英語の格差、南北戦争に負けた南部人による根強い挫折感と自らの南部方言に対する愛着、南部方言から強い影響を受けたと思われるアフリカ系アメリカ人の Ebonics などを見ていると、それによって政治的な大きな動きにも結び付いていると感じます。言語差は階級差や差別をも生みます。

旧ソ連が盛んに言語学や文化人類学を研究していたようですが、それは旧ソ連が支配していた(支配しようとしていた)様々の民族や地域にある言語や文化を中央のロシア人たちが自分にとって都合のよいように理解し体系づけることによって、自らの優位性を証明した買ったからのように見えます。

アメリカにおける白人たちによる黒人英語への偏見にもそれが見られます。

僕は、冷静かつ客観的な歴史的、言語学的、文化人類学的な調査をしたうえで、それでも自分は黒人が嫌いだとか、あるいは逆に白人が嫌いだとかいう偏見を持つのは自由だと思います。しかしろくに調べもせず、考えもしないで、単に周囲の伝聞や憶測をそのまま信じて、黒人英語は無教養のゆえに退化した言語に過ぎないなどと抜かしやがる白人どもと、それをそのまま信じ込む馬鹿日本人をぶっ殺したいくらいに憎んでいます。それについては、うまくいけば30分後に日記で発表することになる「Romeo and Juliet の英文解釈」ビデオでも触れました。
Jama & Felicia
Jama & Felicia
2017/09/11 04:32
以前にも日記で書きましたが、私は、リバプールや、ニューキャッスル、スコットランド、又アイルランドなどのいわゆる、イギリス、アイルランド国内の訛りのある英語が好きです。それで、発音に関し、事細かに指導し過ぎることについて少し疑問を感じました。そもそも、英語圏の人は、何かオフィシャルな英語の発音かなど、気にしていないと思います。そんなものがあるのかどうか解りませんが。クイーンズイングリッシュも、実際クイーンしか話しません。話す人も、稀にいるかも知れませんが。
つまり、私は、イギリスにおいて、どの訛りでも、きちんと市民権を得ているような気がして、それで英語の発音を学ぶときに、事細かに細部まで、これしかないように教えることには意味がないような気がして仕方がありませんでした。そういえば、うちの子どもたちは、完全なバイリンガルですが、学校の英語の先生と、発音に関して、ちょっとしたいざこざがありました。その英語のネイティブ講師は、イギリス英語を知らないのです。そもそも、ネイティブというだけで、英語の講師をしている人が結構いましたよ。

私としては、聞いている人が気持よく聞くことができ、且つ正確に意味が伝わるということを目標にすればいいのではないかと思いました。気持よくという点が、結構重要なのです。つまり基本中の基本からは離れてはいけないと思っています。その基本中の基本というのが、私も含めて、日本人はなかなかできないのです。その部分に焦点を絞って、学ぶべきかなと思います。もしくは、こういう発音もあるといろいろ例を挙げてくれるのもいいと思います。
ところで、日本人に英語の発音を指導する講師は、90%がアメリカ人と聞いています。
私は、正直言いますと、アメリカ南部の白人の発音が好きではありません。黒人の発音のほうが好きです。また、トークショーなどに出てくる、アメリカ人女優の話し方もあまり真似したいとは思いません。それは、好みの問題で、特に、アメリカ英語が劣っていると考えているわけではありません。
私の嫌いな話し方をしても、人間性が良ければ、その人たちをきっと好きになると思います。話し方で人を差別してはいけないのです。

話がそれましたが。
OED Loves Me Not
OED Loves Me Not
2017/09/11 06:22
#
Felicia さん

僕はそのあなたのご意見に100% 賛成ですよ。僕は一度も、これが正しい発音で他の発音はありえないなどと言ったことはありません。ただ、他の大多数の人たちの話を聞いていると、まるでこれしかないかのように言っていますね。アメリカ人のくせに、アメリカの発音やアメリカ式の文法や表現しか受け付けない人がたくさんいて、そういう連中が堂々と教師をやっていて偉そうに説教している人がいることも知っています。

英語ネイティブにもたくさんの方言があることを知っています。その方言の発音をすべてマスターしたいと思うくらいに、さまざまの方言が好きです。方言学(dialectology)という壮大な学問体系もあり、日本でも英米でも盛んですね。英語の方言学に関する本も、少なくとも5冊くらいは持っています。

ただ、すでに Felicia さんも指摘してくださったように、日本語ネイティブで、かなり英語ができているつもりの人でも、99.9% の人たちの発音は無茶苦茶に近くて、気持ちよくは聞いてはおれず、そもそも通じていないからこそ、うるさく言いたくなります。ただ本来は、発音というものは言語学習の基礎中の基礎であって、最初の3年間でほとんどをマスターしておかないといけないもので、30台や40台になってから直そうとしてもほとんど絶望的なので、何をやっても無駄に近いとは思っています。ただ、実は通じているつもりで、相手が気持ちよく聞いているのだと信じ込んでいたけど実は相手は疲れているのだということを認識することだけは必要だと思っています。
OED Loves Me Not
OED Loves Me Not
2017/09/11 06:30
しかし、イギリス英語の発音も知らずに英語教師をやるなんて、その教師も本当に馬鹿ですね。日本語ネイティブの僕らでさえ、いくつかの地域の英語の発音の違いくらいは知っているのに。イギリス英語とアメリカ英語の発音くらいは、自分で発音し分けられなくても、聞けば認識できるくらいでないと、英語教師たる資格はないと思います。そういう馬鹿どもの話は、適当に流しておき、僕ならばその愚鈍な教師と議論などしないで、一人で勉強します。

僕自身も、16歳のときから英語に関しては教師の言うことなんて、本気では聞きませんでした。授業中でも、一応は聞いてはいますが、目では教科書や英英辞典の別の個所を追いかけていて、一人で勉強していました。大学では、出欠を取られるので一応は落第しない程度に出席だけはしますが、講義などほとんど聞かず、常に別の洋書を読んでいました。

現場の教師たちには悪いけど、一般的に言えることは、英語ができないから教師になるのであって、英語ができる人で教師になっている人はきわめて少ないですね。ただし、例外はいます。100人に1人くらいの教師は、実に素晴らしいです。しかしそういう教師に出会ったことは、僕はありません。
Jama & Felicia
Jama & Felicia
2017/09/11 16:06
沖縄では、イギリス英語を知らないアメリカ人ネイティブが大勢いました。イギリス英語を話す友人がいて、彼のことを、「訛っている」と言っていたアメリカ人がいました。沖縄のアメリカ人は軍関係者が非常に多いのですが、そのアメリカ人も軍人でした。家庭の事情から、あまり良い教育が受けられなかったのかもしれません。

ところで、夫は、公立の小中学校で、ALTとして働いていました。ネイティブの学校の講師たちは、日本人の英語教師のサポートを行うのですが、他に、クリスマスや、ハロウィンなどの、「楽しい」行事を事業に取り入れることを期待されています。一般的日本人は、神道的な感覚で、クリスマスや、ハロウィンを考えることしかできないので困ります。神道のように、何でもいいから皆で行事をやることに意義のあるという考えで、講師の宗教がどうであれ、英語の事業の中で、このキリスト教の行事に重きが置かれているのです。英語圏の文化というのは、宗教的にも非常に幅があることを考えないのです。教科書だってそうです。

教師というのは、知識を与えるだけの仕事ではなく、学び方や考え方、つまり知識と知識を関連させる方法を教える仕事だと思います。知識は、本に書いてあります。手持ちの本に書いてない知識を与えるなら、意味があるかもしれませんが。何かの解説をするのは、情報の提供です。大学になると、すでに、学び方を習得した学生が対象になるので、高度な情報の提供という、レクチャースタイルでも十分に意義があるのだと思います。その前の段階で、学生は学習の方法を習得しないといけないのだと思います。情報の関連付け、つまり考えるという行為が訓練されない状態となると、大学に入ってから学ぶより高度な情報を消化できなくなるかもしれません。

教師としての技量が問われるのは、大学生ではなく、小中学校の児童生徒を教える時でしょう。若い時ほど、学び方を教えるという割合が、情報の提供と比較して高くなるのだと思います。
科学に関しては、小学校の理科の授業のほうが、科学の授業よりも、高度なことをしているのかもしれません。

またまた話は逸れました。端折って言うと、教師の役割がわからずに、教壇にたつ、教師が多いのではないかということです。日本のネイティブの英語教師も、教師とは一切関係ない学位で教えている人が多いと思いますが、きっと自分たちの役割など何も考えていないでしょう。

OED Loves Me Not
OED Loves Me Not
2017/09/11 17:19
英語のできない人が英語教師になるのだ、などと厳しいことを僕は言っていました。実際には、英語教師であれ国語教師であれ、教師は馬鹿学生の暴走を何とか抑えて、社会が崩壊するのをぎりぎりのところで食い止めるためのあらゆる下らない雑用を引きうける仕事です。だから、教師は学問を教える余裕なんてないのです。

僕らは、他の人たちがやりたがらないこの教師という気も狂わんばかりに下らない仕事を立派に引き受けてくれている人たちに、深く感謝しないといけないと思っています。極端に言えば、英語教師は英語ができなくて当たり前だし、できなくていいのです。教師のやるべき大事な仕事は、他に山ほどあるのです。

なお、小学校から高校までのあいだに生徒たちに勉強する方法を教えるなんてことはできないと僕は思っています。アルコムのサイトでも、とっくの昔に学窓を出た人たちが英語の勉強の仕方を尋ねてばかりいます。彼らは勉強の仕方なんて、最初から知っているのです。しかしその知っている方法はすべて大変で、自分にはできそうもない、すぐに飽きてしまったり嫌になったりするから、何とかして短期間に楽に楽しく英語を習得できる方法つまりコツや秘訣や王道を知り違っているだけです。そんな連中に、何を教えたって身につきはしません。

少なくとも、僕は親兄弟や親せきや近所の大人や教師や教授や書籍から、勉強の仕方などというものを教わった覚えはありません。しいて言えば、自分が「このようにすればいいんだろうな」と思ってずっとやっていたことがあって、ある英語の大家が書いている自分なりの方法についての文章を読んだとき、「やっぱりそうか」と再確認するだけのことです。

やる気のある人は、人が話の端々にちらりと漏らした言葉を聞き逃さず、「やっぱりそうか。思った通りだ」と再確認し、ますます闘志を燃やして、家に帰って猛然と本を読み、考え、行動するのです。

やる気のない人は、なんとしてでも勉強しない、行動しない、考えもしないでいられる理由や口実を考えだします。何を言ってあげても、常に言い訳でごまかし続けます。

教えることは、基本的には不可能だと思っています。教えられないとわからない人は、教えられてもわかりません。仮に教えることが可能だとしても、教えられて初めてわかるような人は、ろくな人間にはなりません。
Jama & Felicia
Jama & Felicia
2017/09/11 17:42
>しかしその知っている方法はすべて大変で、自分にはできそうもない、すぐに飽きてしまったり嫌になったりするから、何とかして短期間に楽に楽しく英語を習得できる方法つまりコツや秘訣や王道を知り違っているだけです。

そうかもしれませんね。

学習に近道などないし、進歩の速度も、速めることはできないのだと思います。進歩が速くなったと感じるときは、何かの勘違いなのだと思います。
建物を、手抜き工事で、基礎もいい加減にすると、建物は早く建つかもしれませんが、ちょっとした振動で、ガラガラと倒れるのでしょう。




OED Loves Me Not
OED Loves Me Not
2017/09/11 18:07
僕の周りには、僕に勉強を教えてくれる人なんて、ほとんどいませんでした。むしろ、いかにして僕のやる気をなくさせようかと凌ぎを削って嫌みを言い、懇切丁寧に僕がいかにくだらないことをしているのかを説教し続けました。僕は、そういう連中の話を聞かないことによって、はじめて勉強することができたのです。

人間というものは、しょせんはそういうものだと観念しています。人間はみな、怠けていたい。しかし自分だけが怠けていたら、自分だけが底辺に留まってしまう。だからできる限り自分以外の連中をも怠けさせた方がいい。そういうわけで、怠惰さと白痴性とを蔓延させようとします。少しでも懸命な努力をする人が周囲にいたら、どんなことがあっても邪魔をします。賢明な努力がいかに馬鹿げていて、いかに非人間的であるかを説教し続けます。

そのような中で61年も生きてきた僕にとっては、学問において助け合いとか教えあいなどというものは存在しないのです。人間は、ごていねいにも僕を叩き潰そうとしかしてくれませんでした。
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